働く「理由」

いま、働く理由というものが薄れているような気がする。
昔は「お国のため」みたいなところが少なからずあったと思うのだが、いまはそういうのもないわけで、
じゃあなんのためにと問われても、実はそんなにないんじゃないかと最近思う。

会社でやることは多くはビジネスだ。ビジネスというからには「お金を稼ぐ」ことになる。
けど、この「お金を稼ぐ」ということを考えると
ぼくは「会社」と「人」と「組織」というものが互いに相性が悪い気がしてならない。

会社というものが稼ぎ、会社に利益を残そうと思えば、
会社に所属する人には相対的にお金はまわらないようにしたほうがいい。
かつ、人数をあつめ組織になればなるほど、ひとりあたりの取り分は減る。
どうしても、「会社」と「人」と「組織」の間で取り合いになる。妥協点を探らざるを得ない。

そして、市場には一定のお金しかないわけで、ある会社が稼ごうと思えば、
市場の中の「他の会社」もしくは「他の人」から相対的に獲得しなければいけない。そこも取り合いだ。
となると、「稼ぐことが目的」と言ってもどこまで稼げばいいかって、無尽蔵に稼ぐわけにもいかないし、
どこかで無理がくることになる。

だとしたらそれは「会社」で「組織」を成して「働く」必要があるだろうか。

他方、
生きがい、とか、人生を豊かにする、とか言ってみることもできるかもしれないが、
もちろん一要素にはなるし、そう捉えることもできるけど、
会社というハコに、異なる人たちが集まり組織になって、生きがいや人生の豊かさがより増すのだろうか。

「会社」と「働く人」と「他の人」と「組織」との間で価値観が違えば、
互いにせめぎ合うことになりはしないだろうか。

「会社」と「人」と「組織」が一緒になって働く理由とはなんだろうか。

とりあえずぼくの中では結論はでていない。
考え続けるしかないと思っている。

けど・・・
ひとつ怖いなと思っているのは、
働くことで、働く理由が見えなくなってしまうこと。

もしかしたら、
理由を見なくていいようにするために、
心と身体を埋めているのかもしれない。

「一生懸命働く」という事で、心も身体も埋めてしまえば
「働く理由なんか考えずに、一生懸命働くことができる状態」にすることができる。

まさに道なき道を進む状態。完全に闇の中。
闇の中をもがき続けることはきつい。
けど、きついからこそ人生、そう思えてしまうのがミソなのかもしれない。

それは仕方がないことなのだ、と思ってていいのだろうか。
そういうものなんだと横に置いてていいのだろうか。

そろそろ考えてもいい時代なのかもしれない
個人的にはそう思っている。