「場」について⑤ 場所と場がそれぞれやろうとすること

ぼくのなかの場と場所の定義をつかわせてもらうと、
場所は総和をとろうとするもので、場は濃くしようとするもの、だと思っている。
(参考:「場」について③)

そう考えると、それぞれのやりたい方向性が違ってくるはずで、
ぼくのなかでは「足し算と引き算」
つまり、「場所」は足し算をやろうとし、「場」は引き算をやろうとするんだと思っている。

場所は足し算、
なので、できるだけ多くの人にきてもらうためにどうしたらいいかということに頭を悩ます。
タマリバの水曜タマリバーでは最近、「来た回数が多ければ多いほど序列が下がるんだよ」という冗談を、気にしてよく言っている。
場所はどうしても長く続けていくと常連の空気が流れてしまうので、
ちょっとでも、初めてきた人が輪に入りやすい言い方ないかなと思って言い始めたんだけど、まあこれが正解かわからないが、こういう方向性で考えていくのが「場所」だと思っている。

一方、場は引き算、
どうやって濃くするかと考えるわけなので、積み上げるだけじゃなく、なくしていくことも必要になってくる。
ここで気をつけるべきは、「場」は人のつながりだけでつくられるものではないので
合わない人を出入り禁止にすれば、「場」が濃くなるわけではないと思っている。

ちなみにタマリバでやっている「楽しく生きる技術論」は「場」だと思う。
タマリバが主催しているわけではなく、回によって主催もファシリテーターも変わるし、ときには場所をかえてやったりする。
シリーズ物にしたりやめたり、定期開催にしたり期間を空けたり、自己紹介をフォーマット化したり壊したり、と、一回うまくいったやり方を踏襲するわけではなく、毎回場を濃くするためにやり方を考えるのが「場」だと思う。

今度、もう少し濃くするためには、と考えて、「楽しく生きる技術論」という名前も変えてみようと思っている。
違うなと思ったら戻すかもしれないけど笑、要は、こだわる部分は物理的にみえるものではないんだと思う。