怠惰なミカン

ぼくはミカンが好きで時々食べたくなるのだが、だいたいスーパーとかだと10個入りとかで買わなくちゃいけないので、後半だんだんだめになってきたりする。下の方においていたミカンの端っこのほうがくさったりすると、接してたミカンもやられていったりして連鎖反応がおきたりするので、毎回ミカンを買うときは、一気に食べる気合いで買わないと悲しい気持ちになってしまう。それがぼくにとってのミカンである。

ところで最近ふと思ったのだが、くさったミカンがあると隣のミカンもくさるくせに、美味しいミカンの隣にいてもそのミカンが美味しくならないのは、ものすごく理不尽じゃないだろうか。悪い連鎖反応があるなら、いい連鎖反応もあってもいいのではないだろうか。しかも悪い連鎖反応のスピードが速い。あ、くさってるとおもったら、隣も当然のようにくさってる。でも、「このミカンおいしい」と思ってもうひとつ隣のミカンも食べると、味が全然違ったりする。なぜなんだろう。

人間はもともと怠惰な生き物だそうだ。なので、怠惰なやつと生活をともにしていると、すぐ自分も怠惰になってしまっていったりする。けど、がんばってるひとや面白いことをしているひとの横にいても、なかなかすぐには自分も頑張れたり面白くなれたりはしない。怠惰はすぐに蔓延するが、面白さの広がりにはものすごく時間がかかる。

なるほど。ミカンも怠惰な生き物なのかもしれない。

ミカンと人間社会。
ほんと理不尽だ。