カードを増やす1:あこがれをつぶす

ぼくは成人してからこれまでに、
・コンサルみたいな考え方を身につけてみたい
・ベンチャーに関わってみたい
・お店をやってみたい
など、社会に流れる軽い薄い情報や雰囲気から、いくつかの無根拠な「あこがれ」を抱いてきていた。
なにか論理的に「やってみたい」とおもってるわけじゃなく、単に、かっこよさそう、とか、いいなーとおもってるレベルのものである。

しかし、そんな程度の軽い気持ちに、なぜかとらわれる。
そして「いつかはやってみたいなあ」という夢物語に仕立て上げてしまう。
呑みに行って酔いがまわれば、ついついそんな話をしてしまう。

そんな「やってみたいなあ」というあこがれに対して、
当時の、世間知らずの無鉄砲なぼくは、
やりたいと思うんだったら早めにやっておくかー、くらいの勢いで、
あこがれたことを何かしらの形でやってみてきたのだが、
その結果、「やりたいことやれてよかったね」以上の衝撃的な経験を得ることができた。

それは、
すべて「ぼくにはあわなかったな」と思ってしまった、ということである。

なんと、自分にあわないことなのに、「いつかはやってみたいなあ」という夢物語にまでしてしまっていたのだ。
たしかに、よくよく思い返すと、ぼくがあこがれてしまうキャラクターは、お調子者でおっちょこちょいで適当なぼくの性格の正反対の、クールで正確な行動をする人物だ。
自分にはない要素をもってるから「あこがれる」のである。
けど、キャラクターならともかく、人生の「いつかはやってみたいなあ」というものにも、自分にあわないものを選んでしまうのかと、われながらあきれてしまう。

ただ、ぼくは、
自分にはあわない「あこがれ」をやってみて
「ぼくにはあわなかったな」と思えた「カード」が増えた。
「さて本当に自分にあうものってなんだろう」と考えるきっかけを手に入れた。

なるほど。増やすべき「カード」とは、失敗モノでもいいんだなと思えた。
成功とか失敗とかどうでもよくて、結局、次に進むための考える材料が増えればそれでいいのだ。

「ぼく」が「どう行動してどうだったか」

そんなカードを増やすのに手っ取り早いのは、
「ぼく」がなぜか「あこがれてること」を、とりあえず、気軽に、やってみることなんじゃないだろうか。