働き方を考える2:答えがないという派

「ぼく」は生き方を考える上で、最も大切な価値観の分岐は、
「答えがあると信じる」か「答えがないと信じる」か、だと思っている。

世の中や社会に、働き方や仕事の選び方、家族との接し方、政治、経済、ビジネスなどなど
それらについて、「答えがある」と信じるかどうかで生き方が変わると思う。

答えというのは、
「こうするものだ」「こうなるのがベスト」「こういう状態は課題である」という発想の起点になるもので、
信じるひとたち「共通」のゴールもしくは判断軸のこと。

それらが、「分野や社会の全体において唯一無二のものである」と信じるなら、
その答えはその分野や社会に属する「どんなひとにもあてはまる」ということになる。

けど、「ぼく」は「答えがないと信じる」派。

つまり、答えは「ひとによる」と思う派である。
同じ分野や似たような社会にいたとしても、唯一無二のゴールや判断軸はないと「信じている」

「ぼく」がこういうやり方で成功した、と思っていても、
それは「ぼく」だったからであるし、「ぼく」にとっての「成功」だっただけなので、
ほかのひとにあてはまるとは限らない。そう信じている。

さて、
「答えがあると信じる」なら、その「答え」を学ぶことが生き方の軸になる。
「答え」を熟知するために知識を得て、その実践力を高めるために経験を積む。
それが「答えがあると信じる側」の生き方の指針になる。

一方、「答えがないと信じる」なら、生き方の軸は「自分」になる。
その分野や社会の中共通の「どう進むべきか」がないので、「自分がどう進むべきか」が唯一の指針になる。

なので、「答えがないと信じる」派が、重きを置いてやるべきなのは、
「自分とはどんなものか」ということを「考える」ことなのだと思う。