働き方を考える3:過去といまは似ているか

もう一つ、重要な価値観の分岐があると思う。
それは、「いまの世の中が過去のいずれかの時代に酷似しているかどうか」という点。

過去というのは、歴史の教科書で学ぶようなぼくたちが生きていないずっと昔の話から、
数年前とか、十数年前とか、という少し前の話まで含めていろんな時代がある。

もちろんそれらすべての時代を知ってるわけではないので、「いったん」なにを「信じるか」なんだと思うが、
「ぼく」としては「いったん」「いまの世の中は過去のどの時代にも酷似していない」と「信じよう」と思っている。

似ているという度合いをどこまでの範囲で考えるか、ということでもあると思うけど、
「ぼく」は、「いま」と数年前でもかなり異なっている環境だと「感じている」ので
なんとなくだが、どんなに箇所箇所似てそうな時代があったとしても「ぼく」は「似てない」と「感じる」
そういいそうだなと思う。

なぜそんなことを考えるかというと、
過去どこかの時代にいまと同じ状況があるとするなら、その時代を生きたひとの「事例」が
「いま」の「ぼく」が生きる「指針」になる可能性がある。

しかし、「ぼく」は「いまの世の中は過去のどの時代にも酷似していない」と思う派である。

なので、
「ある分野や社会における答え」も「どこかの時代の誰かが生きた事例」も、
「いま」を生きる「ぼく」の「指針」にはなり得ず、
それらは「参考」にはしながらも、「いま」の「ぼく」が考えるしかないのだ、という結論に至ってしまう。

それゆえ、「ぼく」は「考える側」でいたいと思う、ということになるわけなのだ。