汎用への収束と、専門への発散

大学時代、ゼミのリーダーをやってゼミのやり方をかえたことがある。
それまではゼミの全体会はただの発表会でしかなく、それぞれがサブゼミという小さなグループに分かれ、時間をかけた深い研究を目指す活動をしていた。
ぼくはそこに課題を感じ、汎用な能力も必要であるといういわゆる「T字型人材」を提案の軸とし、横串のプロジェクトをゼミでつくり、いろんなサブゼミの知見を生かしたプロジェクトを全体で行えるようにした。

なにがおきたか。
個人的な評価でしかないが、数年たった結果、サブゼミの色がほとんどなくなり、全体会の横串のプロジェクトのほうが濃くなり、ゼミにおける「深さ」がほぼなくなってしまったと感じた。

これはぼくの根底にある失敗体験だ。

先日このゼミの教授と久々にあったのだが、今大学に「問題解決人材」の育成が要請されているのだという。
ぼくはこれに一種の危うさを感じた。ぼくの失敗の大規模版が起きないだろうか。

なんてことを思ったが、大学や社会は「ぼく」なんていうゴミ粒にも及ばない極小の存在になに感ずるでもなく、定められた方向へ進んでいくわけなので、だからこそ、ぼくはタマリバという場で少しずつだけど声をあげてるんだと思った。