裏表

「わたし裏表がないオトコのひとがいい〜」とかおっしゃる女性に「ブス」とか「デブ」とかいうと怒られる。そういうことじゃないとか、そんなこと口にできる神経がわからないとか、ありえないとか、小一時間説教されるのがオチである。

もちろんそんなことは言わないし、もちろん守らなければいけない一線があることは十二分に承知している。それが社会であり、それが人間関係である、と。
心の裏で、つい出来心で、目の前にいるお方の欠点を過剰に表現する言葉が浮かんだとしても、それを口から表に向かって、言葉として実体化させてはいけない。それが社会である、と。

言ってしまえば、社会や人間関係もしかしたら自分自身でさえ、裏表の混合体でできている。裏と表、本音と建前、メリとハリ、本気と妥協。マーブリングのようにそれらが混ざり、相手にぶつけながら、いい塩梅を探し、適度な距離を見極める。それをある意味お約束にしているから、異なる性格の人間たちが調和をとって集まることができるのだと思う。

そうにもかかわらず、「裏表がないひとがいい〜」という女性には、きちんと認識してもらうべく、警笛の意味を込めて、ストレートボールをぶつけてあげたくなるのだが、度胸がないぼくは、今日もあいまいな言葉で濁しつづける。