頑張ってかいた文章

「頑張ってる」という言葉は、とても素晴らしい言葉なはずなのに、なんとも言い訳的香ばしさを感じてしまうのはなぜだろうか。「あの人ほんとうに頑張ってると思う」とだれかがだれかにいうのであれば比較的聞こえがいいが、「おれいま頑張ってるんだよね」とか言われると、とたんに嘘臭さが増すのはなぜだろう。

思うに、「頑張ってる」という言葉は、対象をぼんやりと評価するときの逃げの言葉なんだと思う。その人の「何がいい」とか「どこがいい」とかではなく、まるっと全体的に「いいよねー」と飾り付けるときに使われる言葉のような気がする。

本来自分ごとであれば、そんな総論あいまいな言葉をつかうよりも、「いまそれをこうしたいと思ってる」とか「これをいつまでにやりたい」とか、具体的な話をしたほうが周りの人に伝わりやすい。にもかかわらず、自分で自分のことに対して「頑張ってる」を使うときっていうのは、自分の「向かってる方向」「向かいたい方向」がわからないときの緊急避難場所として、使いやすい言葉なんじゃないだろうか。

そう考えると「頑張ってる」という言葉は、そのひとのことをあまりよく知らないけど輝かせたいときに、効果的効率的に便利な言葉であり、使ってもらえると嬉しくなる言葉だが、自分が自分に対して使うと、自らのことがわからないけど無理矢理輝かせようと努力する様に見え、滑稽に映ってしまうのではないかと思う。

と、ここまで書いてみて、まとまりのない文章になったなと思ったが、ここまで頑張って書いたので残しておこうと思う。