働き方を考える1:「ぼく」は「考える側」でいたい

常々思う。
ひとは、「自分で考える側」と「与えられる側」に分かれる。
もしかしたら場合によったり環境によったりするかもしれないが、
ある瞬間でみれば、この2種類に分かれてると思う。

例えば、部屋が空調で寒かったとする。
温度変えていい?と声をかけ、自分で空調の設定を変えに行けばいいと思うのが「考える側」
寒くない?と言ったり、寒いそぶりをすることで、環境やその場のオーナーに対処を委ねるのが「与えられる側」

環境が自分を変えると思うのが「与えられる側」、
その中でも主導的に与えられようとすると、環境を選ぼうとする。
が、自分で「考える側」は、環境を自らつくろうとする。他者の環境からはエッセンスだけを抜き出し自分に活用する。

日常さまざまな場面で、多くのひとは、この2種類に分かれてるなあと感じる。

説明が難しいのだが、こう書くと、
考える側のほうがよくて与えられる側はわるい、と主張しているように見えそうだが、
それは単に「ぼく」が「考える側」でありたいと思っているゆえそういう書き方になってしまっているだけで
「すべてのひと」が「どちらでいるべきか」とはまったく考えてない。

ただただ
「ぼく」が「考える側」でいたいと思っているだけ
そう思っている。