参考)茶色は虹色にはなれないという話
自分が茶色であり、虹色の美しさに憧れたとしよう。
茶色の自分なんて世の中の評価で言えば2点くらいで、虹色の100点に近づきたいと思ったとしよう。
まずぶつかる壁は、「茶色が虹色になる」のは、ものすごく困難であるということ。というかほぼ無理。
仮に茶色から虹色になろうとしても、色を加えたり混ぜたりしても虹色にはならない。
なので、無理にでも虹色になろうとするなら・・・
・茶色ではあるが虹色だと思い込む、もしくは言い張るか、
・うえから虹色の服を着て虹色のふりをする、コスプレをする、整形をする、など。
たぶんこの二通りしかない
ただ、ここでなによりも大きな問題だと思うのは、
「虹色が茶色よりも優れている」
という自分の中での思い込みを前提にしていること。
「どちらが優れているか」は主観であって、
あくまで「茶色が自分の色」「虹色は他人の色」、優劣も濃淡もそこにはないはず。(一方向での評価ではありえるけど)
その前提で考えないとおかしなことになる。
もちろん、あこがれるのは悪くはないと思う、
茶色が虹色になろうとする経験はあってもいいかもしれない、
虹色のグループに飛び込んでみる経験もありかもしれない。
けどそれは経験の話であり、自分の色の話とは切り分けて考えるべきだとおもう。
自分は茶色である。
その上でどんな経験をするか、
これが人生なんだとおもう。
(ある日美容師の友人と語った時の話)